水無月ばけらのえび日記

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同一引用もとからの引用が連続する

2001年10月29日(月曜日)

同一引用もとからの引用が連続する

一ヶ月ほど前に山本弘氏の言葉を引用しましたが、それに関して面白い論評がありました。

分厚い小林『戦争論』だが、その中に一コマも描かれていないものがある。むしろその方が問題なのである。それは、日本軍によって傷つけられ、殺されていった「アジアの人々の思い」や、日本軍に立ち向かった人々の「考え」である。全編、日本人がどのように戦ったのか、その姿と一方的な思いだけを描いたのが小林『戦争論』である。「戦争論」と銘打つためには、少なくとも今となっては、戦った相手が当時どのように思い、何を考えていたかを描き、それと照らし合わせて自己の思いを整理して描かなければならない。たとえば彼は「戦争には痛快な面もあった」と描くが、日本が痛快に勝っているときは、負けて「惨め」な思いを抱いている相手がいるという、きわめて単純な事実が分からない。これは、「相手のいない戦争」論なのである。

以上、小林よしのり『戦争論』を考える より

おそらくは山本弘氏も同じように感じたのだと思いますが、続きがあります。

 「わしが『戦争論』を描いた理由」(日本会議『日本の息吹』1998年8月号)と題したインタビューで、彼は「わしが人情を寄せる相手というのは基本的には日本人です。だから『ハルモニ』(「慰安婦」)とかには情が沸かないんです……わしはそこまでは自分の共感の意識は伸びていかない。共感できる範囲は日本人までが限度です」と、公然と語っている。

以上、小林よしのり『戦争論』を考える より

なんと、本人が言っていた模様です。

まあそれはともかくとして、

こうした現実に目を覆い、自閉する傾向は、テレビゲームに育てられた若者に共通するものかもしれないが、ますますボーダーレス化する現実の社会で、正面からそれに向かって生きて行こうとする多数の健康な若者には、幼児への退行と映り、無邪気で非現実的な主張と感じる者も多いのではないか。

以上、小林よしのり『戦争論』を考える より

「テレビゲームに育てられた若者」として、このご発言には残念な思いを致しました。

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