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Twitterのタイムラインは染まっている

2011年9月19日(月曜日)

Twitterのタイムラインは染まっている

公開: 2011年9月24日14時5分頃

こんなお話が……「情報リテラシーについて (blog.tatsuru.com)」。

命題そのものがどれほど正しくても、他の専門家たちによる「反証機会」が奪われている限り、それは「科学的」とは言われない。

それと同じく、情報リテラシーとは個人の知的能力のことではない。「公共的な言論の場」を立ち上げ、そこに理非の判定能力を託すことである。 情報の階層化とは、そのことである。

私が「情報貴族」と呼んだのは、「自分たちが所有している情報についての情報」を集合的なかたちで形成できる集団のことである。 「情報難民」と呼んだのは、原子化されたせいで、自分が所有している情報を吟味する「公共的な言論の場」から切り離されてしまった人々のことである。

この話で私が連想したのはTwitterのこと。Twitterでは、基本的に「フォロー」した人のツイートだけが自分のタイムラインに流れてきます。どんな人をフォローしているかによって、タイムラインの内容は様々に変化します。

多くの人は、共感できることを言っている人、意見の合う人をフォローする事が多いでしょう。そうすると、タイムラインは自然と、自分に都合が良い意見で占められてきます。反対する意見を持った人を排除している訳でもないのに、自分に同調する意見で染まってくるわけです。

これはTwitterに限った話でもありません。特定の掲示板の特定のスレッドだけ読んでいれば、そのスレッドに常駐している人の意見が全てであるように見えてくるでしょう。ただ、その手の掲示板では、意見の異なる乱入者が現れる余地があります。

それに対し、Twitterでは原則として乱入が起こりません。ツイートに「@ユーザー名」をつけると、フォローされていなくても語りかける事ができますが、それも「ブロック」機能で排除できるようになっています。

Twitterのタイムラインにはこのような性質がありますので、いろいろな人の意見が流れているように見えて、実は偏った内容になっていることが多いはずです。以下のような点を考えてみて、全て当てはまっていたら、そのタイムラインは染まっていると考えた方がよいでしょう。

特に、「ブロック」の機能を使って自分と異なる意見の人を排除している場合、そのタイムラインは「公共的な言論の場」とはかけ離れていると考えた方が良いでしょう。もちろん、そういうものだと理解した上で読むのは問題ありませんが、これを「みんなの意見だ」と勘違いしてしまうと、過ちを犯すことになります。

個人的に興味深いと思っているのは、人をブロックしたことを宣言する人がいることです。URLを送りつけてくるspamをブロックするのはまったく問題ありませんが、議論の相手が気にくわないからと言ってブロックするのは、自分は議論ができない、人の話を聞きたくないと言って耳を塞ぐようなものです。

とはいえ、議論したくない、タイムラインを自分の色に染めたい、というなら、それはそれでも良いでしょう。そういう選択をすることは自由です。

しかし、堂々と「ブロックしてやった」と宣言する感覚は、ちょっと私には理解できないです。それも一度ならず、何度も見たことがあります。ブロックを恥ずかしいと思っていない人も多い、ということなのでしょうか。

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