2011年9月11日(日曜日)
A3その2 : 輪廻転生の思想
公開: 2011年9月18日23時0分頃
A3 (www.amazon.co.jp)について、その2です。その1からの続きです。
A3では、オウムの教義の中でも「マハームドラー」という概念が重要な役割を果たしたと指摘しています。
オウムの考え方のベースにあるのは、「輪廻転生」の思想です。「A2 (www.amazon.co.jp)では、信者の一人が「今生のためではなく、来世のそのまた先、もっと先を考えている」という主旨の発言をしています。彼らは、死者の魂が別の命として転生すると強く信じています。そして、そこには「ステージ」という概念があるらしいのです。生きていたときの行為によって、転生後の処遇 (ステージ) が変化します。悪行を繰り返すと「カルマ」がたまり、低いステージへ転生することになっているようです。
殺生は基本的に悪行とされています。そのため、彼らは肉類を食べないようにしています。また、彼らはゴキブリも殺さず、捕らえて建物の外に逃がすようにしています (「A2 (www.amazon.co.jp)」にそういうシーンがあります)。これらは、カルマをためないようにする、という消極的な行動です。
重要なのは、カルマを落とす (減らす) 積極的な行動というものが存在する (ことになっている) ということです。それが修行です。修行によってカルマを落とすと、より高いステージへ転生できる、というのが彼らの思想です。「修行するぞ」とプリントされたTシャツが有名になりましたが、これは「修行してカルマを落とし、高いステージに転生するぞ」という意味です。
問題は、何が修行として有効なのか、客観的にはまったく検証できないということです。普通の人には、何が修行になるのかさっぱり分かりません。ここで宗教指導者、「グル」の存在が重要になってきます。グルはどんな修行をすればカルマが落ちるかを知っている (ことになっている) ので、信者はその指導に従って修行をすることになります。
どんなにバカバカしく思える行為でも、グルが「修行だ」と言えば、それは修行になります。信者は、グルに対して、「そんなことをしてもカルマは落ちません」と反論することはできません。その行為でカルマが落ちるのかどうか、客観的に検証することは不可能だからです。時には無理難題が課せられることもあり、それを乗り越えることが重要な修行であると理解されたようで、そのようなものを「マハームドラー」と呼んでいたようです。
「A3」では、このマハームドラーが犯罪行為へのハードルを下げる要素だったのではないかと分析しています。
人は、理由もないのに犯罪に手を染めたりはしないものです。しかし、それが修行であると言われればどうでしょうか。それが理不尽であり、心理的な抵抗が強いものであればあるほど、厳しい修行だということになります。この考え方の下で、信者は厳しい修行に耐えようとします。たとえ犯罪行為であっても、それが修行であれば、やらなければならない。
基本的に殺生は悪行だと説明されているのですが、それさえも「ポア」という概念で覆されます。人がカルマを積む前に、グルの指導の下で「ポア」することで、その人の魂は来世でより高いステージに導かれるという考え方です。それは救済であり、「ポア」した側のカルマも落ちると考えます。オウムの信者は本気で転生を信じていますし、グルに魂を導く力があるとも考えていますので、このような理屈が通用してしまいます。
ここで一つポイントになってくるのが、グルは指導者ではあるけれども神ではないということです。これはつまり、グル自身も修行をするし、グルにマハームドラーが課せられることもあるということを意味します。A3では以下のようなエピソードが紹介されています。
上九の施設内にサリンの原材料である薬品がまだ大量に残っていることを報告で聞いたとき、麻原が苦笑しながらこんなことを言ったそうです。
「まいったなあ。マンジュシュリーにマハームドラーをかけられたなぁ」
以上、A3 p449 より
※「マンジュシュリー」というのは、刺殺された村井秀夫氏のことです。
事件当時、「マインドコントロール」という言葉が流行しました。一般的には、教祖や幹部は教義を信じてはおらず、末端信者を一方的に騙していた……という印象でとらえられているのではないかと思います。しかし、このようなエピソードを見ると、実は彼ら自身もオウムの教義や思想を信じ、それに縛られていたのではないか、と思えてきます。
たぶん続きます。
※続きました: A3その3: 刑罰も反省に結びつかない
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