水無月ばけらのえび日記

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A3その3: 刑罰も反省に結びつかない

2011年9月12日(月曜日)

A3その3: 刑罰も反省に結びつかない

公開: 2011年9月19日10時35分頃

A3 (www.amazon.co.jp)について、その3です。その2からの続きです。

マハームドラーという考え方には、犯罪行為着手へのハードルを下げるという側面の他に、危険な性質がもうひとつあるように思います。それは、刑罰が反省に結びつかないという性質です。

事件直後、信者の多くは、「事件を起こしたのはオウムではない、陰謀だ」と考えていたようです。しかし、時間が経って裁判での幹部の証言など出てくると、「どうもオウムがやったらしい」という認識を持つに至ります。本来、信者は世俗の情報に触れてはいけない事になっているのですが、それは形骸化していて、道場にも週刊誌が置いてあったりしますから、そのような認識はできるわけです。この様子は「A (www.amazon.co.jp)」「A2 (www.amazon.co.jp)」で描かれています。

「A2」では、オウムの犯罪について問われた信者が、教団の犯行であると認めつつも、「教祖がカルマ落としをかけたのだと思う」という主旨のことを答えるシーンがあります。この信者は、教祖が「救済」のためにあえて犯罪行為をしたのだと認識しているわけです。その後の教祖や幹部信者の逮捕、そしてオウム全体の窮状は「カルマ落とし」と考えています。カルマを落とすためには修行が必要で、修行のためには、あえて苦しい道を行く必要がある。そのために、わざと自らを窮状に追い込んだ――と、そんなふうに考えているわけです。

先の信者は、「仮に教祖が罪を認め、自分の前で泣きながら許しを請うたとしても、自分は揺れない」という旨のことも言っています。「教祖がわざと自分の醜い姿を皆に見せて、信者の動揺を誘っている。心が揺れないようにする修行だ」という理解になるわけです。

マハームドラーの考え方は、あらゆる事を「修行」として理解しようとします。教祖や幹部に課されている (あるいは課されようとしている) 刑罰さえも、修行の一環と理解されてしまいます。彼らは修行のために、あえて刑務所に入るようなことをしたのだと、そんなふうに理解されてしまうわけです。

この考え方の恐るべき点は、どんな刑罰が科されても反省に結びつかないということです。彼らは転生を信じていますから、死刑でさえも修行としてになります。幹部信者にどんなに厳しい刑罰が科されても、自らがどんなに迫害されても、それが修行であると考え、修行のためにわざとやっていると理解されます。全ての犯罪が確信犯として理解されます。

実際、「A2」では、信者が事件を認めながらも「反省」はしていない姿が描かれています。松本サリン事件の被害者である河野義行さん宅を信者が訪れるシーンがありますが、そこでも明確に謝罪するわけではありません。河野さんに「自分は謝罪を必要としないが、末端信者の生活を守るためには謝罪のポーズを見せた方が良いのではないか」という旨のことを言われ、諭されて、謝罪するか否かをその場で議論しはじめるという体たらくです。

マハームドラーの考え方は、犯罪行為を確信犯に変えてしまいます。グルの指導の下に、修行のため、あるいは救済のためにやったことであるなら、それは正しい行為であるとされます。犯罪行為の実行があったことは認めても、それが正しい行為だから反省の余地はないということになります。

まだ続くかもしれません。

※続きました: A3その4: 弟子の暴走はあったのか

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