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反原発と推進派の二項対立という分析は妥当なのか

2011年3月30日(水曜日)

反原発と推進派の二項対立という分析は妥当なのか

公開: 2011年4月3日15時10分頃

こんな記事が……「反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク (business.nikkeibp.co.jp)」。

福島県に原発が作られるようになったのは地元がそれを求めたことが大きい。1960年には福島県議会が東京電力に原子力発電所用地の提供を申し出て、61年には大熊町、双葉町議会が原発誘致の決議をしている。当時、「原発が来ればこのあたりは仙台のように栄える」と言われたそうだ。

(~中略~)

そんな状況の中で、原発依存を続ける方針を採るなら、既に取得された場所の中で増炉や使用済み燃料の保存を行うしかなくなった。福島第一原発が、敷地内に立ち並ぶ6機の炉が連鎖的に破壊される恐怖で国民をおののかせたのは、そうした過去からの経緯による。つまり人災化の過程で反原発運動と原発推進の国策、電力会社の施策が絡み合い、リスクを肥大化させてきていたのだ。

以上、http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110328/219175/?P=3 より

これは鋭い視点だと思います。今回の事故については東京電力を批判する論調が多いように思いますが、実際には電力会社、地元の誘致派、国、というプレイヤーが複雑に絡み合っているということですね。各プレイヤーは一見すると皆「推進派」であるように見えますが、実際にはそれぞれ異なる思惑を持っているわけです。「反原発と推進派の二項対立」という視点では見落としてしまうものがあるのではないか、ということですね。

と、ここまでは良いと思ったのですが、最後のページで引っかかりました。

こうした構図はゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」に通じる。囚人のジレンマとは逮捕され、別々に独房に収監された2人の囚人が、互いに相手は口を割らないと信じて黙秘を続ければ取り調べは暗礁に乗り上げ、両者とも無罪放免されるのに、実際には相手を疑い、仲間が自分を裏切るかもしれないので、ならばその前に自分から仲間を裏切って司法取引に応じてしまおうと考えることだ。こうして両者がそれぞれに事件の真相を自白した結果、両者とも罪が確定し、刑に処される。

なぜ2人の囚人が最大の利益を得られない結果にみすみす至ってしまうのか、それは、人は利己的な生き物であるという前提=利己心仮説が導く必然である。相手は利己的であり、自分を裏切るだろうとあらかじめ疑ってかかる。その前提において、相手を信じずに自分の利益のみを最大化しようとした結果、両者の利益の最大化がなされない。

以上、http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110328/219175/?P=4 より

これは少し誤解があるように思います。「囚人のジレンマ」では、各プレイヤーは「裏切り」を選択することになりますが、これは相手を信じられないからというより、それが最適だからです。相手が絶対に裏切らないという自信があったとしても、「裏切り」を選ぶことが最適となります (そうなるように設定されている)。

※ただし、これは1回勝負の場合の話です。同じプレイヤーが何度も当たる場合には、前回の相手の選択を見て行動を変えるという要素があるので、協調を選ぶことが最適となる場合があります。「しっぺ返し」という戦術がよく知られています。

「囚人のジレンマ」は、全てのプレイヤーが理性的に正しい選択をしている状態 (ナッシュ均衡) であるのに、全体としては利益が最適の状態 (パレート最適) にならない場合があるという話です。カイジ (www.amazon.co.jp)にありがちな信頼と裏切りの心理戦ではありません。

その後いろいろ続くのですが、正直なところ良く分かりませんでした。疑問に思ったことを箇条書きに。

そもそも、完全に「反原発と推進派の二項対立」という視点になってしまっているのがよろしくないのではないかと思います。そういう視点では見落としてしまうものがあるのではないでしょうか。

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