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漢のロマンと瀬戸際外交

2011年9月9日(金曜日)

漢のロマンと瀬戸際外交

公開: 2011年9月10日23時45分頃

この文章は非常に面白かったです……「私も原子力について本当の事を言うぞ (business.nikkeibp.co.jp)」。

あくまでも利権や既得権益を防衛するべく原発の維持に心を砕いている人もいるのだろうし、何十年の研究成果を無意味にしたくない心理から、原子力のドグマに殉じている人々もいるはずだ。もちろん、その種の私心とはまったく別に、純粋に経済の停滞を懸念する気持から、安定的な電力供給源としての原発を支持している人もいることだろう。

でも、本命は「マッチョ」だ。

どういう理屈で原子力を擁護するのであれ、その心の奥底には、原子力のもたらす圧倒的な熱量を賛美するテの「美意識」があずかっている。その「美意識」は、宇宙飛行士が宇宙の深遠さに憧れていたり、F1のメカニックがスピードに魅了されていたりするのと同じ種類の、直線的な傾斜を含んだ、中二病に似たものだ。われわれは、それに抵抗することができない。というのも、何かを欲しがっている時、われわれは、ガキだからだ。

以上、私も原子力について本当の事を言うぞ 5/5ページ より

私も以前、原子力は「夢」だったのだと書きました。これは「ロマン」と言い換えることもできますし、もっと言えば、「(おとこ)のロマン」です。私が連想したのは、スポーツカーというよりも重厚な鉄のイメージです。たとえば……

……って、これほとんど鉄騎 (www.amazon.co.jp)のイメージですね。

ともあれこういった美意識は、実は多くの人が共有しているのではないかと思います。ただ、子どもっぽくも見えるそういった感覚を、露骨に表に出すか出さないかという点には差が出るでしょう。

原子力は、この手の美意識にはぴったりとマッチするはずです。ただ、放射性廃棄物を貯蔵し続けなければならないという問題を考えると、それはけっこう格好悪い話だったりもします。そのあたりは美意識に合わないという人もいるのではないでしょうか (美意識に合わないから無視して考えないようにしてしまう、というパターンもありそうですが)。

そして強烈なのは最後のまとめ。

主筆は85歳になっているはずだが、いまだに中二病だ。

道は険しい。

以上、私も原子力について本当の事を言うぞ 5/5ページ より

85歳を力強く「中二病」と断定。中二病という言葉にもいろいろなニュアンスがありそうですが、ここでは単に子どもっぽいというような意味でしょう。

しかしそもそも、この主筆が何を言っているのか、いまいち良く分かりません。「潜在的な核抑止力」と言っているようですが、具体的にどのようなことを想定しているのでしょうか。

「核抑止力」という考え方自体、もうだいぶ廃れた感がありますが、それは積極的に核兵器を使う想定ではなく、持っているだけで抑止力になるという考え方のはずです。核兵器を持ってしまえば、それだけで露骨に抑止力が発生します。「潜在的」と言うからには、実際に核兵器を持つということは想定していないのでしょう。

とすると、プルトニウムを何に使うつもりなのでしょうか。「核兵器を持つぞ」というカードをちらつかせて譲歩を引き出す、いわゆる瀬戸際外交のようなものを想定しているのでしょうか?

あるいは主筆は、日本の将来について非常に悲観的なビジョンを持っているのかもしれません。経済的に没落して困窮し、外交に使えるカードを全て失って、瀬戸際外交に頼らざるを得なくなるというビジョン。少なくとも、日本が追い詰められているという危機感は持っていて、だからこそ核の外交カードを残したいという発想が出てくるのでしょう。

長く続く不況を経験し、半年前に震災と津波災害を経験し、レベル7の原発事故を経験している今、危機意識が高まることは理解できます。このような危機感の高まりに、あえて「クリーンエネルギーの技術で世界をリードする日本」というような楽観的なビジョンを持つ、そんなたくましさがあっても良いのではないかと、個人的には思いますけれども。

いずれにしても、「潜在的な核抑止力」というものは、(おとこ)のロマンという観点からは、いまいちぱっとしない話であるように思います。

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