水無月ばけらのえび日記

bakera.jp > 水無月ばけらのえび日記 > 昨日の続き

昨日の続き

2001年11月27日(火曜日)

昨日の続き

もう一つ重要なのが、「自分がどうしてその価値観を選択したのか」という理由を明確にすることです。理由がわからないなら、その理由を一から考えてみます。既存の価値観の枠組みに縛られずに自由に発想することが重要ですが、既存の枠組みから脱却しなくてはならないというわけでもありませんから注意が必要です。考えた結果、それが既存の枠組みに収まったのならばそれでも構わないのです。

むしろ、法の枠組みなどをすべて外して一から考えた結果が、結局は法の枠組みに収まるということはよくあるはずです。なぜなら、全ての法規範には立法趣旨があり、それは多数の人が思考した結果だからです。自分の思考がたまたまそれをなぞって行けば、同じところにたどり着くのは当然の帰結です。

※結果が同じでも無駄ではありません。そのときには、「何故そのような法があるのか」という理由が、自分の中でより明確になっていることでしょうから。

「ただ法律を守れば良いというものではない」というのは真実だと思いますが、そう主張する人の半分くらいは、その法規範の趣旨を理解できていないだけだったりするような気がします。たとえば憲法の保障する『信教の自由』の意味を理解しているつもりの人は大勢いるでしょうが、本当にこれを理解しようとすると4単位の講義になったりする勢いです。それも基礎のみでです。そのくらい奥が深いにもかかわらず、理解したつもりになって批評している人が実に多いような気がするのは私だけでしょうか。

※たとえば「愛媛玉ぐし料訴訟」「山口県殉職自衛官合祀事件」「津地鎮祭事件」などで何が争われ、どういう見解が示されたのかを知らないで議論しちゃう人とか。不幸なことに、知ってる側がこれを全部解説するとなると本気で2単位くらいの講義になってしまうので、そんな手間をかける余裕がない場合は「相手にしない」という対応になってしまいます。さらに不幸なことに、相手にされなかった側は自分が相手にされなかった理由を理解できなかったりします。その結果どうなるかというと……。

ところで、自分と異なる価値観を平然と認めてしまう人(あるいはもののけ)の面白いところは、自分の価値観にとっては不利になるようなことでも平気で主張するところです。たとえば、死刑制度に反対していても平気で「死刑には犯罪抑止力がある」と言ってしまうので、実体に反して「死刑肯定派」に分類されてしまったりとか。

関連する話題: 思ったこと

最近の日記

関わった本など